『ビートルズ』を含むコンテンツ

ビートルズになりたかったのが、矢沢永吉になっていた。

あーオレは、ホントにビートルズになりたくて、
街から街、ツアーからツアー、
夢を1個ずつ手に入れていったわけだ。

(そしたら)矢沢永吉になっていた。

矢沢永吉っていうのは、
ひとつのタイトルなんですよ。

僕は矢沢永吉になるってこと、思ってなかったの。

ビートルズにはなりたいと思ったけど、
矢沢永吉というひとつのものになると
思ってなかたの。

分かるかなー、
これ説明しにくい部分なんだけど。

そこがねー、
失ったものもいっぱいあるんだよねっていう
とこに繋がるんだけど。

そういう人はねー、海が好きなんですよ。

FIFTY FIVE WAY

矢沢永吉 55歳

<管理人コメント>

海が好きというのは知りませんでした。

海が好きだから
船も持っていたんでしょうね。

笑えるのは、その船を撮影するスタッフが
道に迷って、ようやくマリーナに着いた時の
永ちゃんの一言。

「オーシャンを左って言ってるのに
右行くからおかしいとこ行っちゃうんだよ」。

あーやっぱライブ止められないよなー

ロックって、どっちか言うと水商売じゃない。

水商売やりながらでも、子どもを大学いかせるみたいなね。

まぁー、そういうふうにやってきたもんですよ。

まぁー、そうやって来て今64で、
今年65になります。

ただ海の向こうにはいっぱいいますからね。

ミックジャガーにしても、
スティーブンタイラーにしても、
68だ69だっていますからね。

何で彼らやってるんだろうと思いました。

去年ポールマッカートニー71歳。(2013年に来日)

何でやるんですか。

やってることで、あの汗ですか。

シャワーを、ヘトヘトになった時の終わった時のシャワーですか。

シャワー受けている時に分るんですよ。

今日はもらったとかね。

今日はオレがちょっとやられちゃったなーとかね。

ヘトヘトですよ。(シャワー浴びている時)

2時間ちょっとはもう全部出してますから。

なんだかんだいって、60いくつなんだもん・・・

でもその時にねー、あーやっぱライブ止められないよなー
思いますよねー。

MUSIC FAIR 2014年1月4日(土)でのコメントより

第2のホームタウン"ヨコハマ"

横浜は第2のホームタウン。
 
高校を卒業した矢沢青年は故郷の広島から
ギターと5万円を持って上京する。
 
しかし、なぜだか横浜で降りてしまう。
 
その理由をテレビ番組でこう明かす。
 
広島から東京に向かう電車に乗ること18時間。
 
「ケツが疲れたんだねー」
 
小田原あたりでばてちゃって
「横浜」というアナウンスで
港町が浮かんだ。
 
そして、大好きだったビートルズの出身地が
港町リバープールだったことで、
「横浜」がリバプールと重なり下車を選択。
 
その後、ちり紙交換やガラス拭きをして
生活しながら、バンド仲間を募る。
 
そして、矢沢永吉を含め5人組の
アマチュアバンド「ザ・ベース」が誕生。
 
その後、横須賀のキャバレーでギャラは無しだったが
バンド活動ができることになる。
 
キャバレーに通う足代として1万円を貰う。
 
その1万円で定期を購入し、残った2000円で
インスタントラーメンとコーラを購入。
 
ベース担当のアパートで
ラーメンをぐつぐつ煮て
それすすりながら
コーラで乾杯したのが今でも忘れられないという。
 
その後はゴールデンカップ(戦後50年の歴史を持つレストランバー)に
自分達を売り込む。
 
ビートルズのスローダウンを歌って売り込みに成功する。
 
ギャラは5人で15万円。
 
これでバイトが止めれると思ったそうだ。
 
2012年ミュージックラバーより
 
 GC.jpg

横浜 本牧 GOLDEN CUP


 

 

あなたも「矢沢永吉」になりますよ。

これからバンドデビューする若者が矢沢永吉に質問した。

「プロデューサーの言うことを聞くと、

自分達の音楽のスピリッツ(魂)が消えていってしまう。

矢沢さんはデビュー当時どうだったのか。」

(1985年12月NHK「YOU」限りなき夢との出会いより)

 

永ちゃんは答える。

 

ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーチンは、

ジョン・レノンにこんなことを言ったエピソードがある。

 

ジョージ「オマエ達は、オレが選曲したこの歌をうたえ、

そうすれば売れるから」

 

ジョン 「とんでもない、オレ達の曲はオレ達でうたうんだ」

    「オレ達の曲はオレ達で作るんだ」

 

それで一夜越しで作った曲が「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。

 

その後、ジョージ・マーチンが選曲した歌はイギリスで1位になった。

 

しかし、ジョンが作った「プリーズ・プリーズ・ミー」も後に1位となる。

 

どちらも1位になったという話しだけど、ジョンは自分の我を通した。

 

僕(矢沢)はレコード業界が拾ってくれなかった。

 

本当はテレビに出たかった。

 

でも、業界が拾ってくれなかった。

 

だから自分達でやるしかなかった。

 

不本意な出発だった。

 

でも、もしレコード業界が僕ら(キャロル)を気持ちよく拾ってくれていたら、ポリシーある矢沢はなかったと思う。

 

だからこれだけは言える。

 

「近道したら近道に潰される」

 

 

近道っていうのはレコード業界なるものが、

僕ら(キャロル)を導いてくれること。

 

だけどそれは自分のスピリッツ(魂)を失うものでもある。

 

最初は不本意な出発だったけど、それが僕にとっては良かった。

 

だからこれからデビューするあなたは、どちらを選ぶか。

 

もし、自分の我を通すとなるとレコード業界からはそっぽをむかれる。

 

それであなたが当たったら、「矢沢永吉」になりますよ。

 

 

<当サイト管理人の所感>

 

「近道したら近道に潰される」

 

この言葉を聞いた時感動しました。

 

結果往来の時代にプロセスの重要性を説いているから。

 

フランシスベーコン(哲学者)いわく

 

人生は道路のようなものだ。

 

一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。

 

と言っています。

 

誰しも遠回りはしたくないですが

近道は敵と肝に銘じとくことですよね。

 

『スコーンと来た』

『スコーンと来た』 矢沢永吉語録 2009年NHK「SONGS」より

「親から何かしたいことないのと言われます。

本当にやりたいこともなくて、

どうしたらいいんでしょうか

分かんなくて・・・」

          21歳のキャバ嬢

 

矢沢は語る。

いっぱい、いるんでしょうね今。

 

どうしたらいいか分からないんだけどもという人が。

 

本当にボクは15くらいの時にビートルズと出会って

スパーンと来たね。

 

あ、もうこれだと思った。

 

ほいで、東京行こうと思いました。

 

東京行って歌手になろうと思った。

 

今みたいにインターネットがこんなに発達して

世界同時に情報が交換できる時代じゃないですから、

あの時東京行ってロックシンガーやるんだって言ったら

周り10人中10人が、お前あたま大丈夫って言われました。

 

その時代ですよね。

 

でもね、あのスコーンと来た気持ちっていったら、

今考えたらアレが無かったら

自分何してたのかなーって思ったりします。

 

ちょっとしたところにあるかもしんないんだけどね。

 

それが、どこで出会えるか。

 

ひょっとしたらホンのちょっとのことなのかも分かんないよね。

でも、うまく言えないけど

もしこのままダラダラ時間が過ぎるだけで

私どうすればいいんだというのなら

やめちゃったら、あっさり。

 

<当サイト管理人の所感>

 

小生は16の時、永ちゃんの自伝「成りあがり」と出会って

スコーンと来ました。

 

もし、出会ってなかったら起業していたのかなーと思います。

 

多くの人にスコーンとさせるものとの出会いがあればいいなと思います。

それもあって、このサイトを立ち上げました。

 

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